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たく様:回答します。 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/02/24(Fri) 08:52 No.2977 
 叙位叙勲の件について回答します。
 
 戦後の叙位叙勲は、県からの推薦に基づいて、内閣で裁可され、つくば市の国会図書館分館に保存されてます。

 役場からの通知は、復員局人事部長ヨリ通知ニ接シ、御通知申上げとなっております。

 県は、復員局の資料は把握せず、叙位叙勲の、推薦したとの事。

 厚生労働省・援護局・業務課・調査資料室・回答に依りますと、旧海軍から、継承した人事記録(履歴原表)には、横須賀地方復員局(横鎮)の資料は、含まれていません。

 草鹿 仁一・司令部長官・(父は、司令部附)は、生還されてます。

 叙位叙勲当時は、気づかず、調査が遅れたのが、無念です。

 

 

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たく様:回答します。 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/01/31(Tue) 23:50 No.2967 
 操練は、昭和5年6月、予科練発足以降の名称です。
本人所持、黒表紙の、航空記録によれば、様式一、航空経歴、第十五期飛行練習生になっております。

 階級につきましては、昭和21年5月9日、役場から、戦没者の件通知に、中尉になっております。

 昭和21年6月15日、南東方面艦隊司令長官、草鹿 仁一(生還)挨拶状、御供物料が、横須賀地方復員局人事部(相澤印)より、海軍中尉として、送られています。

 昭和22年5月5日、横須賀地方復員局経理部家族渡係から、所轄十一航艦司(南東艦隊司令部兼務)、等級中尉として、俸給等家族下渡内譯書が、送られています。

 靖国神社、祭神之記には、所属部隊、第十一航空艦隊司令部、階級、海軍中尉になっております。

 戦死公報、戦没地につきましては、当時、軍事情勢から、戦後、別場所が、判明しております。

 因みに、父は、存命中に、金鵄勲章及び賜金国債を授与されています。(当時、最新鋭の、九七式一號艦上攻撃機操縦により)

たく > 回答ありがとうございます。第十五期飛行練習生はのちの予科練卒業後に進む飛練の15期もあったので、正式には操縦練習生ではない1−15期も一括で操練とかかれることが多かったのでそうさせてもらいました。 階級の件はやっぱり難しいんですね。少尉の根拠は発令されていた昭和19.8.1任海軍少尉、昭和20.5.1附任海軍中尉がS22.4.18附の第二復員局公報第15号にて取消が公表され、あらためて昭和19.4.23附の任海軍少尉が発令されたものです。この辞令は昭和22.4.11附の内閣の任免裁可書(閣議にかけられるものです)内で裁可されたもので、その際に小笠原諸島方面で戦歿ということが記載されていました。 また官報号外第138号(叙位第二十四回)にて少尉の位階である叙正八位の叙位が発令されていることからです。 (2/22-19:26) No.2975
たく > 最後の官報号外の日付を書き忘れました。昭和43.10.26附です。 (2/22-19:28) No.2976
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老兵様:御礼 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/02/09(Thu) 14:47 No.2972 
 老兵様、ご回答ありがとうございます。

 万が一と想いまして、お尋ねしました。

 父が戦死し、終戦後、母の実家に引き上げ、情報がありませんでした。位牌、遺品は、私が管理し、お墓も、私が建立しました。戦死時、1歳と3日、何も思い出がありません。

 敗戦となり、遺児の悲惨さは、老兵様も、ご存知かも知れませんが、私も、ようやく、誰に気兼ねもなく、国に殉じ、戦死した父、及び英霊の方々の供養に、専念できる身になりました。春、秋の例大祭、みたままつり、少なくとも、年3回、靖国神社参拝を心掛けております。

 存知上げない、老兵様に、遠慮なくお尋ねし、申し訳ありませんでした。

 本当に、ありがとうございました。(^o^)

老兵 > 理不尽な戦争に生き残り戦没同期生の慰霊顕彰に余生を送っています。 (2/10-06:13) No.2973
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老兵様:お伺い 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/02/08(Wed) 15:06 No.2970 
 老兵様:刀についての所見、拝見致しました。
     刀について、お伺いします。

 父は、いよいよ、俺たちの番だと、家族に言い、刀も、黒の正帽も、良い方を持っていったそうです。

 戦死時乗機は、正、副操縦席のある、一式陸上攻撃機と判明しております。ゆとりが有り、刀持ち込みが、認められたのでしょうか?
 
 遺品として、戻っておりません。搭乗員の遺品は、管理が行き届いていたと、思われますが。

 ラバウルは、終戦時迄、降伏しておりません。草鹿 仁一長官は、終戦の翌年帰還しております。遺品は、遺児にとって、かけがえのないものです。

 

老兵 > 海軍では推測航法を行うので、搭乗員が日本刀を持ち込むことはありません。外地での戦死者の遺品が帰らないのは当時の常識です。私の長兄も戦死しましたが一篇の通知だけで、何もありません。 (2/9-06:42) No.2971
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老兵様:二階級特進:ご教示を 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/01/22(Sun) 15:02 No.2949 
甲飛12期:田中和夫様時歴によりますと、二階級特進榮ヲ賜ヒ、海軍二等飛行兵曹ヨリ、海軍少尉ニ任セラレルとありますが、昭和17年11月1日以降の階級は、二等飛行兵曹→一等飛行兵曹→上等飛行兵曹→飛行兵曹長→少尉になっております。ご教示下さい。
因みに、私の父は、飛行兵曹長から、海軍中尉へ、二階級特進と聞いております。

たく > 特攻による戦死だからです。勅令六五〇号によります。下士官は少尉、兵は兵曹長に任用される制度です。それ以上の階級の方は二階級特進ですから、飛行兵曹長から中尉はその例です。 (1/22-16:19) No.2950
たく > そういえば、お父上は操練15期の関氏ですか?それであれば最終階級は少尉のはずです。戦没者叙位も正八位です。 (1/31-15:56) No.2966
老兵 > 田中君は谷田部空で中間練習機、百里原空で私と一緒に九七式一号艦攻で訓練を受けた仲です。 (2/1-06:41) No.2969
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老兵様:感謝 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/01/31(Tue) 09:30 No.2965 
 ご回答、ありがとうございます。
父の、最新機の写真、撮影があるはずとの、叔父の口述がありますが、手元になく、時が余りにも、立ち過ぎ、無念の想いがしています。

 第十五期飛行練習生卒業30名
(霞ヶ浦海軍航空隊入隊:昭和4.5.12・卒業:昭和5.4.28)、余りにも少なく、記録が少なく、残念に思っています。

生の、搭乗体験者の、老兵様のご回答に、真に、感謝します。

老兵 > 私は37期飛行術練習生です。 (2/1-06:37) No.2968
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老兵様:お伺い 投稿者:霞 仙人 投稿日:2012/01/30(Mon) 22:55 No.2963 
 老兵様、九七艦攻操縦体験についてお伺い致します。

私の父は、記録に依りますと、昭和12年に正式採用された、

九七式一號艦上攻撃機、操縦員として、翌年の
昭和13年3月22日〜13年 3月22日迄、 17時間30分、第十二航空隊在隊、

昭和13年4月13日〜13年12月15日迄、213時間10分、第十四航空隊在隊を含めまして、

1138時間00分の記録があります。(ラバウル着任、昭和19年2月1日〜19年4月23日戦死間、不明に付含まず)

実用機として、最多操縦となっております。父は、飛行機乗りとして、誇りを持っていたとの事。

九七式艦攻操縦体験、お知らせ頂ければ、幸いに存じます。

老兵 > HPを読んで頂ければ分かるように、私は百里原空で九七式一号艦攻で訓練を受けました。九〇三空では三号と天山、そして大井空の特攻隊では「白菊」でした。 (1/31-07:15) No.2964
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御回答頂き心底より感謝 投稿者: 投稿日:2012/01/25(Wed) 04:00 No.2961 
いえいえ、御回答頂き心底より感謝いたしております。

ところで福岡には度々参りますが、永末さんに面会させて
頂けるでしょうか?


老兵 > 私は糟屋郡新宮町在住です。福岡に来られるなら、旅館を教えて頂けれは私がお伺い致します。 (1/25-06:48) No.2962
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千田さんの消息 投稿者: 投稿日:2012/01/24(Tue) 07:04 No.2959 
はじめまして。
大阪府在住の若杉と申します。
私が特攻隊や戦争の事を研究する事になったのも、
永末さんの帰郷される際、京都祇園の終戦直後の殺風景な
情景を記録されたページを見たからです。

ところで、予科練13期の千田さんは如何なさってるんでしょうか。

敗戦後、鹿児島岩川基地から伊丹まで飛び、伊丹で飛行機を乗り捨て、大阪駅までタクシーで行くエピソードを親切にメールなどでご教授頂いてから数年経ち、
戦争を語り継ごうというリンク集をクリックしても「老生の思い出記」というHPは表示されなくなっています。

すこし前の掲示版には、多摩川の散歩をしながら露命を繋いでいるという書き込みを見たのですが、具合は相当悪いように見受けられました。

心配しております。





老兵 > 申し訳ありません 私は同期生「12期」の事績を中心に調査していますので、13期生については県内以外は承知していません。ご免なさい。 (1/24-17:13) No.2960
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老兵様 投稿者: 投稿日:2012/01/20(Fri) 18:38 No.2943 
以前に盃の件で掲示板をお借りした者です。

あれから私なりに調べてはいるのですが、難航しております。もし可能でしたら写真を添付させて頂きまして、老兵様から些細なことでも教えて頂けたらと…。不躾なお願いで申し訳ありませんが、可能でしたらメールアドレスを教えて頂けませんでしょうか。

老兵 > 次のHPに写真入りで解説しています。 http://senri.warbirds.jp/jasdf/17ura/ura01.html (1/21-05:47) No.2944
さとみ > 老兵様、教えて頂きましてありがとうございます。盃に関しては実は靖国合祀記念盃と判明致しまして、盃には手がかりがないことが解りました。残す手がかりは三種軍装着用の写真のみなのですが、老兵様に見ていただけたら何か手がかりが解るのではと思いましたものですから…。説明不足で申し訳ありません。 (1/21-23:06) No.2945
老兵 > 早とちりで申し訳ありません。三種軍装は次の写真をご覧ください。  http://senri.warbirds.jp/10kaiko/03nisibe/index.html (1/22-06:35) No.2947
さとみ > 度々ありがとうございます。拝見しましたところ、下襟が上襟より小さくなっているように見えます。手元の三種軍装の写真は下襟が上襟より大きめの4つ釦です。胸もとのポケットは蓋有りで2本の線が入り、下のポケットは蓋有りで線はありません。(解りにくいかと思います。申し訳ありません。)また略帽の顎紐は皮製なのか黒いものです。解りにくいかと思いますが、こちらはいつ頃の三種軍装かお分かりになりますでしょうか。 (1/22-11:28) No.2948
老兵 > この写真は昭和19年11月1日のものです。あご紐は布製です。 (1/22-21:03) No.2951
さとみ > 度々ありがとうございます。昭和19年11月のものなのですね。では上記のような三種軍装について何か解りませんでしょうか。 (1/22-21:32) No.2952
老兵 > 写真は修整していません。次の写真も参考までに。  http://senri.warbirds.jp/05hiyakuri/kisyu.html 貴方の持っている写真を見たいものです。 (1/23-06:12) No.2954
老兵 > 写真を良く見ると下襟の方が大きいのもありますね。 (1/23-06:36) No.2955
さとみ > ありがとうございます。こちらの掲示板で写真を添付する方法が解らないのですが、老兵様にお見せする方法はありますでしょうか。 (1/23-10:35) No.2956
老兵 > 写真拝見致しました。ポケットの蓋に2本の線は見当たりません。帽子の黒い線はあご紐ではなく黒線一本の下士官のように見えます。入隊年月日や入隊場所それに氏名が分かれば検索の方法があります。 (1/23-14:56) No.2957
さとみ > 老兵様、先程はありがとうございました。老兵様に話を聞いて頂けて少し気持ちが楽になりました。この先、調べるにしろ調べないにしろ大切にしていきたいと思います。お忙しい中、本当にありがとうございました。 (1/23-20:52) No.2958
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